令和立新の心

新たな視点で日本社会を俯瞰します。

令和立新の心コラム1

令和立新の心コラム1

●覚醒
 収束の目途が立たない今回の新型コロナウィルスの一件では、人権を含めた民主主義の限界や、被害者と加害者を生み出す対立構造、マニュアル信仰の社会に疑問符が投げかけられていると言えます。現代社会を形作っている価値観に対して、行き過ぎがあり機能不全に陥っていると警鐘を鳴らしているのではないでしょうか。過去に経験のないことが頻発し始めた世の中では、今までの価値観では対応できない面が目立ってきました。

 共産社会主義が失敗に終わり、自由経済民主主義が勝利したように見えましたが、アメリカの部分的な衰退、中国の発展を見ると、どうもそうではなさそうです。日本がどっぷりとつかっている資本主義や自由経済、民主主義といった価値観は、もはや時代遅れで対処しきれないのかもしれません。マニュアルや硬直化した憲法、過去の事例や判例などといちいち照らし合わせていては、何事も解決は遅くなります。的確で素早い柔軟な対応が求められていると言えます。特に日本はこの20年余りで全くダメな社会構造になっています。これは昭和に入ってからの日本によく似ています。近代日本では77年前後の周期で、致命的で大きな変革を伴う「壊滅再出発期」が到来するようです。明治維新から終戦終戦から2022年頃がそれにあたるので、後2年以内に現在の体制が崩壊し、新しく生まれ変わるのかもしれません。

 死刑廃止ややたらに保釈認めたり、精神鑑定の結果、刑が軽くなると言った考え方が、外圧として日本に向かってきています。果たしてそれが正しいと言えるのでしょうか。死刑廃止に関しては、あっさりとそれに屈している国もあれば、自国の人口や犯罪発生率に応じて抵抗している国もあります。フランスなどは凶悪犯やテロ犯を捕まえても死刑にできないので、その場で射殺することが多いようです。犯罪者が人を殺すことに寛容でも、それを取り締まる死刑は虐殺に等しいという考え方は、どうも理解に苦しみます。行き過ぎた人権は、正直な人の感情を抑え込み歪めることになります。いくら論理的に説明されても、納得できる人は少ないはずです。 現在の刑事司法制度に不備が多く、冤罪が多いのなら、刑罰を軽くするのではなく、根本となる刑事司法制度のあ
り方を改善する方が筋ではないでしょうか。一例を挙げただけでも、現代社会を形作ってる価値観などはどこかズレているようです。

 ネット社会は、原始民主主義に似た面があり、誰もが自分の意見を公にすることができます。マスコミが世論を操作して国民を誘導することが難しくなっています。以前でしたら、新聞やテレビで報道していることを盲従し、疑う人はいませんでした。それなりの信頼度がありました。しかし今は、信頼度はがた落ちで、変だと思ったり偏っていると感じれば、声を上げることができます。その分、国民の情緒的な面がクローズアップされがちにもなります。これらの国民の意見に指導者が流されて、変な方向に進む衆愚民主主義に陥っていりやすくなります。ポピュリズムがまさにそれにあたります。民主主義はある程度良い面はあったのですが、ネット社会になると、それに合わせた民主主義に変化する必要があるのではないでしょうか。

 政治も時代遅れになっているかもしれません。選挙はネット上で演説したり、投票したりと形を変えて良いはずです。選挙に億のカネをかける必要があるのでしょうか。現在の国会議員は当選することと、与党になることしか頭になく、純粋に国政を考えている人は皆無と言えます。与党は政権の支持率ばかりを気にしていると、国家百年の大計など作れるはずもありません。野党は、政権奪取のために言葉尻を批判したり、風紀委員会みたいなことをしていては、与党の間違いを修正することができません。いずれにしても与野党が激しく対立する構造は、良い方向に進まないでしょう。政権維持や当選を気にせず国家の運営ができれば、もっとまともになるはずです。票を得るためのパーティーなどはせずに、常に国に発展を専門家を交えて議論している組織が与党になり、
その組織の構成員が国会議員になるのはどうでしょうか。このような組織同士が切磋琢磨し、人気や学歴でなく、どの程度国の発展に寄与しているかなどで、与党に選出するわけです。下野している組織は、対立するのではなく修正案など提出します。スキャンダルなどは、国会の風紀委員会に任せれば良いと言えます。党や国会議員のあり方を根本的に変革したいものです。